おニャン子クラブのファンクラブとは・・・
「こニャン子CLUB」。
「こニャン子CLUB」の会員証もあり、
個別の会員番号もあった。
おニャン子クラブのファンクラブとは・・・
「こニャン子CLUB」。
「こニャン子CLUB」の会員証もあり、
個別の会員番号もあった。
おニャン子クラブ会員番号27番、松本亜紀。
おニャン子クラブのオーディション合格と同時に
許可無く、勝手に出演したとして高校側から退学をさせられた。
さらにまたおニャン子クラブの脱退もした。
なので出演はオーディション合格の時のみだった。
その後、タレント活動をして銀座のママとなった。
読者モデルのあの松本亜希ではないのよ。
おニャン子クラブもAKB48と同様に恋愛禁止だった。
恋愛禁止のはずなのに新田恵利がいろんなところで
暴露してしまっています。
高校1年生の頃から彼氏がいただなんて・・・・・
黙っておけばいいのに・・・・夢をぶち壊しですね。
おニャン子クラブも恋愛禁止だったが・・・・
総合プロデューサーの秋元康が同クラブの高井と
恋愛していたのは説得力がない。
本人もいろいろと弁明しているが、
本人いわく、一生懸命じゃなかったからとか自然の流れとか言って
まさに訳が分からない。
高井もすぐに引退しているし、それも自然の流れだと言っている。
おニャン子クラブで演歌と言えば・・・
城之内早苗ですね。
あじさい橋は大ヒットしました。
それからプロ野球選手で活躍した城之内邦雄は大叔父(祖父の弟)にあたるらしいね。
おニャン子クラブに確かに派閥はあった。
その真相を探る。
大きく分けて、新田派と国生派があった。
小さいところで立見派やゆうゆ派もあった。
渡辺美奈代派もあった。
遊び感覚で仲良しクラブであった新田派と
芸能界で今後がんばると真剣に考えていた国生派が
考え方の違いで歪があったとされる。
おニャン子クラブと言えば、セーラー服か?
というとそうでもない。
あまりその光景は見かけなかった。
セーラ服を脱がさないでが大ヒットしたからそのイメージが強いのだろう・・・・
おニャン子クラブの「じゃあね」は元々なかじこと中島美春の歌であった。
シングルをリリースするにあたって
中島美春 with おニャン子クラブ で進められていたが、
本人の要望でおニャン子クラブの名義に変更された。
でも、ちゃんとフロントはながじで構成された。
おニャン子クラブのグループの中で芸能界で健在というか生き残ったのは
工藤静香、国生さゆり、渡辺満里奈、おまけで新田恵利と言った感じか。
工藤静香の場合は夫がSMAP木村の影響が大きい。
国生は生き返り、
渡辺満里奈はコツコツと、
懐かしのおニャン子イベントでは必ず新田恵利という感じで
それぞれ芸能界でコンスタントに活躍している。