はじめに
1986年5月9日、高校1年生だった大貫かおりさんは『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブの会員番号37番となりました。しかし、彼女は「幻のおニャン子」と呼ばれることになります。なぜそう呼ばれるのか、そして芸能界引退後の現在について詳しく解説します。
大貫かおりのプロフィール
基本情報
- 本名: 大貫かおり
- 会員番号: 37番(おニャン子クラブ)
- 出席番号: 1809番(モモコクラブ桃組)
- 加入日: 1986年5月9日
- 出身地: 神奈川県
- デビュー時年齢: 16歳(高校1年生)
おニャン子クラブ時代
大貫かおりさんは1986年5月9日に『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブの会員番号37番となりました。興味深いことに、彼女の前の36番は後に大ブレイクする渡辺満里奈さんでした。
“幻のおニャン子”と呼ばれる理由
大貫かおりさんが「幻のおニャン子」と称される理由は、『夕やけニャンニャン』にたった1日しか登場しなかったからです。番組への出演は1986年5月9日の金曜日のみで、その後は体調を崩して脱退することになりました。
おニャン子クラブは1985年4月から1987年9月まで活動し、多くのメンバーが人気を博しましたが、大貫さんは最も短い活動期間だったメンバーの一人として記録に残っています。
モモコクラブでの活動
おニャン子クラブ脱退後、大貫かおりさんは学研ホールディングスが発行していた女性アイドル情報誌『Momoco』を発端とするTBS系列放送のバラエティー番組『モモコクラブ』にも登場していました。ここでは桃組の出席番号1809番として紹介されています。
芸能界での転身 – セクシー路線への挑戦
写真集「MISTRESS」の発表
おニャン子クラブ脱退から数年後の1993年、大貫かおりさんは大きな決断を下します。22歳の時にヌード写真集「MISTRESS」を発表したのです。この写真集は横木安良夫氏が撮影を手がけ、スコラから出版されました。
「MISTRESS」は1993年4月21日に発売され、定価は2,136円でした。アイドル時代のイメージとは大きく異なる大胆な内容で話題となりました。
Vシネマでの活躍
写真集発表後、大貫さんはVシネマの世界でも活躍を始めます。VシネマではSMの女王様として主演し、「SMセブン」(1996年)や「濡れ事師2」(1996年)などの作品に出演しました。
主な出演作品
- SMセブン(1996年、日本コロムビア)- 主演
- 濡れ事師2(1996年、ギャガ・コミュニケーションズ)- W主演
その他のメディア活動
写真集やVシネマ以外にも、以下のような作品に出演していました:
- ビデオ作品
- Please Kiss Me!(1993年、英知出版)
- プチデビューVol.7(1993年、笠倉出版社)
- 写真集
- 初色サンゴ(5名によるオムニバス作品)
現在の大貫かおりの活動
地元での事業展開
現在、大貫かおりさんは女優としても活動しながら地元でカラオケパブも開いています。芸能界での経験を活かしながら、地域に根ざした事業を展開しているようです。
おニャン子クラブ30周年を振り返って
2015年にはおニャン子クラブ結成30周年を迎えました。大貫さんは当時のインタビューで「初めて『夕やけニャンニャン』に出演した日は忘れもしません。今でもその日の台本は大切に持ってます」と語り、短い期間ながらもおニャン子クラブでの経験を大切にしていることが分かります。
おニャン子クラブとは?基本情報
グループ概要
おニャン子クラブは、フジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループで、1985年から1987年にかけて活動しました。
活動の特徴
- 会員番号制度: メンバーには番号が割り振られ、大貫さんは37番でした
- 学生優先: 本業の学生活動を優先させるクラブ活動的感覚での芸能活動
- 多人数グループ: 研修生まで含めると55人のメンバーが所属
代表的な楽曲
1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイクしました。
まとめ
大貫かおりさんは、おニャン子クラブ時代はわずか1日の出演で「幻のおニャン子」と呼ばれましたが、その後セクシー路線に転身し、写真集やVシネマで独自の道を歩んできました。現在は地元で事業を営みながら、おニャン子クラブ時代の思い出を大切にしている姿が印象的です。
短い芸能活動期間ながらも、多様なジャンルに挑戦し続けた大貫かおりさんの軌跡は、1980年代アイドル史の一端を物語る貴重な記録といえるでしょう。
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