河合その子の夫は有名作曲家・後藤次利!結婚の馴れ初めから現在まで徹底解説

12.河合その子

河合その子と後藤次利の結婚について

おニャン子クラブの元メンバーで、清楚な美貌と高い歌唱力で人気を博した河合その子さん。彼女の夫は、日本の音楽シーンで活躍する有名作曲家・ベーシストの**後藤次利(ごとう つぐとし)**さんです。

二人は1994年に結婚し、2025年現在で結婚30年以上を迎えています。離婚の噂は一切なく、順調な結婚生活を送っているようです。

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後藤次利とはどんな人物?

後藤次利さんは、サディスティック・ミカ・バンドのベーシストとして知られる音楽プロデューサーです。おニャン子クラブをはじめ、数多くのアイドルやアーティストに楽曲を提供してきた実力派の作曲家として業界で高い評価を得ています。

特におニャン子クラブの楽曲では中心的な役割を担い、河合その子さんのソロ楽曲も多数手がけていました。

二人の馴れ初め

河合その子さんと後藤次利さんの出会いは、おニャン子クラブ時代にさかのぼります。後藤さんは河合さんのソロデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」をはじめ、以下のような多くの楽曲を提供していました。

  • 「涙の茉莉花LOVE」(デビュー曲)
  • 「落葉のクレッシェンド」
  • 「青いスタスィオン」
  • 「再会のラビリンス」
  • 「悲しい夜を止めて」
  • 「哀愁のカルナバル」
  • 「JESSY」

河合その子さんはシングル9枚のうち7枚を後藤次利さんが作曲しており、仕事を通じて親密な関係を築いていったと考えられます。

河合その子の結婚観

河合その子さんは結婚相手について「年上でモテる男性」がタイプだったと語っています。また「結婚は経済力」「亭主元気で留守がいい」というサバサバした結婚観の持ち主でもありました。

後藤次利さんは河合さんより13歳年上で、「アイドルキラー」と呼ばれるほどモテる男性として知られていました。河合さんの理想にぴったりの相手だったといえるでしょう。

後藤次利の結婚歴

後藤次利さんにとって、河合その子さんとの結婚は3度目の結婚でした。

過去には、ザ・シモンズの玉井タエさん、そして女優の木之内みどりさんと結婚・離婚を繰り返しており、バツ2の状態でした。そのため、とんねるずの番組では「マッスルスティック」というあだ名で恋愛遍歴をイジられることもあったようです。

河合その子のソロ活動について

おニャン子クラブ最初のソロデビュー

河合その子さんは、おニャン子クラブのメンバーの中で最初にソロデビューを果たした存在です。1985年にソロデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」をリリースし、清楚な美少女イメージで瞬く間に人気を獲得しました。

卒業シングル「青いスタスィオン」の大ヒット

1986年にリリースされたおニャン子クラブ卒業シングル「青いスタスィオン」は、おニャン子関連楽曲の中で最大のセールスを記録する大ヒットとなりました。

おニャン子クラブ内での評価

おニャン子クラブは「身近さ」が売りのグループでしたが、河合その子さんは唯一の近づき難いほどの美人として際立った存在感を放っていました。

さらに、おニャン子クラブの中ではトップクラスの歌唱力を持ち、ただ歌が上手いだけでなく、曲に陰影をつけて歌う表現力も高く評価されていました。

アーティスト志向への転換

ソロ活動後期には、徐々に脱アイドルを目指し、アーティストとしての道を歩み始めます。1988年にはテレビ出演を拒否し、メディア露出を控えるようになりました。

1990年発表の最後のアルバム『Replica』では全曲の作曲を自ら担当するなど、音楽的な才能を開花させていきました。

ソロ活動が伸び悩んだ理由

元の記事では「そこまでの技量がなかったのか?」という疑問が投げかけられていますが、実際には河合その子さんの歌唱力や音楽性は高く評価されていました。

活動が伸び悩んだ主な理由は以下のように考えられます。

  1. メディア露出の減少 – 自らテレビ出演を拒否したため、プロモーション不足に
  2. アイドル路線からの転換 – アーティスト志向に舵を切ったことで、従来のファン層と乖離
  3. 時代の変化 – 1980年代後半から1990年代にかけて音楽シーンが大きく変化
  4. 本人の芸能活動への姿勢 – 結婚を見据えた活動セーブの可能性

つまり、技量不足ではなく、本人の意向や活動方針の変化が大きな要因だったと考えられます。

結婚後の生活と子供について

芸能界引退と専業主婦生活

河合その子さんは、後藤次利さんとの結婚と同時に芸能界を引退しました。出身地である愛知県東海市の実家近くに居を構え、専業主婦として生活していたようです。

子供について

二人の間には息子が一人います。幼少期には、セレブ御用達の名古屋ドルトンスクールに通っていたという情報があります。この学校は「教育熱心」「個性を伸ばす」教育方針で知られています。

その後、息子さんは南山小学校を受験するも不合格となり、公立の小学校に通ったという情報もあります。

2019年の目撃情報

2019年には、愛知県で開催された後藤次利さんの音楽イベントに、河合その子さんが赤ちゃんを抱いて参加していたという目撃情報がありました。愛知県のローカルアイドルグループ「dele」のイベントで、その様子がTwitterに投稿され、話題となりました。

この「赤ちゃん」が孫なのか、それとも知人の子供なのかは不明ですが、河合その子さんが変わらず美しい姿でプライベートを楽しんでいる様子が伺えます。

2010年の芸能界復帰と現在

記者会見での復帰宣言

河合その子さんは2010年に記者会見を開き、芸能活動を再開することを発表しました。この会見では、後藤次利さんとの間に子供が一人いることも公表されています。

しかし、この記者会見が表舞台に現れた最後となってしまいました。

サブスク解禁

2019年12月には、音楽配信サイト「AWA」で楽曲のサブスクリプション配信が解禁されました。現在では、さまざまな音楽配信サイトで河合その子さんの楽曲を聴くことができます。

現在の活動

2025年現在、河合その子さんは60歳(1965年6月20日生まれ)になります。芸能活動の再開は実現していませんが、愛知県で家族とともに穏やかな生活を送っていると考えられます。

夫の後藤次利さんは現在も音楽活動を続けており、河合その子さんは内助の功として支えているのかもしれません。

まとめ

河合その子さんと夫・後藤次利さんの結婚生活は、30年以上にわたって順調に続いています。

  • おニャン子クラブで最初にソロデビューし、トップクラスの人気を誇った
  • 高い歌唱力と音楽性を持ち、アーティスト志向へ転換
  • 1994年に作曲家の後藤次利さんと結婚し、芸能界を引退
  • 一人息子とともに愛知県で暮らす
  • 2010年に復帰宣言するも、その後の活動は限定的

河合その子さんのソロ活動が大きく花開かなかったのは、決して技量不足ではなく、本人の意向やキャリア選択、そして時代の変化が影響していたと考えられます。

現在は、音楽界の第一線で活躍する夫を支えながら、家庭を大切にする生活を送っているようです。おニャン子クラブ時代のファンにとっては、幸せな家庭を築いている彼女の姿が何よりの喜びかもしれません。

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