白石麻子のプロフィール:おニャン子クラブ会員番号22番
白石麻子さんは、1980年代を代表するアイドルグループ「おニャン子クラブ」の会員番号22番として活躍したメンバーです。
基本情報
- 加入日:1985年7月26日
- 卒業日:1987年9月20日(おニャン子クラブ解散と同時)
- 所属ユニット:ニャンギラス
当時はその可愛らしいルックスから多くのファンを獲得し、グループ内でも高い人気を誇っていました。
おニャン子クラブ時代の活躍:ニャンギラスのメンバーとして
国生さゆりのバックコーラスに抜擢
白石麻子さんの転機となったのは、1986年2月に発売された国生さゆりの大ヒット曲「バレンタイン・キッス」です。この楽曲で、白石さんは渡辺美奈代さんとともに「withおニャン子クラブ」としてアンダーガール(バックコーラス)を務めました。
この時の活躍が認められ、CBS・ソニーからソロデビューの打診を受けることになります。
異色ユニット「ニャンギラス」での活動
1986年4月、白石麻子さんは「ニャンギラス」のメンバーに選ばれました。
ニャンギラスのメンバー
- 立見里歌(会員番号15番)
- 樹原亜紀(会員番号6番)
- 名越美香(会員番号14番)
- 白石麻子(会員番号22番)
ニャンギラスは、おニャン子クラブの中でも「色物」「お笑い系」と呼ばれる異色のユニットでした。もともとは立見里歌、樹原亜紀、名越美香の3人でスタートした企画に、白石さんが追加で招集されたという経緯があります。
当時のインタビューで白石さんは「追加招集されたときは『え、私……?』って感じでした。その衝撃はバックコーラスのときよりも数段上でした」と語っており、「私は色モノじゃない!」と泣いて抵抗したという噂もありました。
しかし、その後はニャンギラスのメンバーとして、後期シングル曲のフロントボーカルなどで活躍し、非ソロデビューメンバーながらも高い人気を維持しました。
なぜソロデビューしなかったのか?
白石麻子さんは、おニャン子クラブの中でも人気が高かったにもかかわらず、ソロデビューをしませんでした。その理由について、本人がはっきりと語っています。
「バレンタイン・キッス」のアンダーガール選出時にCBS・ソニーからレコードデビューの話を持ちかけられましたが、答えを一旦保留し、最終的には「今後は学業に専念させて下さい」と断ったのです。
当時からすでに芸能界に残る意志が無かったことを、1989年に出版された社会学者・稲増龍夫の著書『アイドル工学』(筑摩書房)のインタビューで語っています。このインタビューには、同じく元おニャン子クラブの立見里歌さん、布川智子さんも応じていました。
白石麻子の現在:4児の母でヨガインストラクター
芸能界引退後の結婚と家族
おニャン子クラブ解散後、白石麻子さんは芸能界を完全に離れました。
1987年9月の解散後は、ジャガー・ジャパンに勤務。1992年(平成4年)に結婚し、現在は4人のお子さんを持つ母親となっています。
興味深いことに、白石さんは3人続けて男の子を出産した後、「娘がどうしても欲しかった」という理由で4人目を出産。その結果、3男1女の4児の母となりました。公表されている中では、おニャン子クラブのメンバーの中で最も多くの子どもを持つ母親です。
現在の職業:チャイルドボディセラピスト&ヨガインストラクター
現在の白石麻子さんは、主婦業の傍ら、以下の職業に就いています:
- 小児科の受付
- ヨガのインストラクター
- チャイルドボディセラピスト
子育ての経験を活かし、子どもや母親に寄り添う仕事をされているようです。
2025年も元気に活動:おニャン子クラブ40周年で再集結
CMへの出演
白石麻子さんは、たまにCMに出演することがあります。2010年には、サントリー缶コーヒー『ボス 贅沢微糖』の新CMに、おニャン子クラブの11名が再集結し、名曲「セーラー服を脱がさないで」を歌い踊る企画に参加しました。
立見里歌とのライブ活動
白石さんは現在も、時折、立見里歌さんとともに「ハコイリ♡ムスメ」というユニット名でライブに出演することがあります。
2023年12月16日には、東京・青山のライブハウス「青山月見ル君想フ」にて、内海和子さん(会員番号13番)、立見里歌さん(会員番号15番)とともに、「年忘れとCHRISTMAS会&ファンの集い」を開催。チケットは即完売する人気ぶりでした。
2025年7月:おニャン子クラブ結成40周年コンサート
2025年7月5日に世田谷区民会館で開催された「おニャン子クラブ 結成40周年コンサート」にも、白石さんは出演。ニャンギラスのメンバーとして、立見里歌さん、樹原亜紀さんと再集結しました。
立見里歌さんのブログによると、コンサートまで毎日朝から3人でリモートで振りの確認を行っていたそうです。オランダ在住の樹原亜紀さんは、踊るとビデオを送ってくれて、「ここは右手だったよね」「左足だったよね」と細かい確認をしながら、力を合わせて準備していたとのこと。
39年の時を経ても、ニャンギラスの絆は健在のようです。
ニャンギラスの再集結イベント
2014年11月:解散後初の再集結
2014年11月28日には、都内で『おニャン子クラブTALKSHOW〜ニャンギラス再集結の巻』が開催されました。これは1986年のおニャン子クラブ解散後初のイベントで、立見里歌さん、樹原亜紀さん、名越美香さん、白石麻子さんの4人が再集結し、駆けつけたファンの前で赤裸々トークを展開しました。
この際、ニャンギラスのメンバーたちは当時のエピソードを暴露。白石さんがニャンギラスに加入することに最初は抵抗があったこと、「麻子ちゃんは嫌だったみたい」というエピソードが語られました。
まとめ:芸能界を離れても輝き続ける白石麻子
白石麻子さんは、おニャン子クラブ時代から「学業優先」という明確な意志を持ち、ソロデビューの話を断った芯の強い女性でした。
現在は4人のお子さんを育てながら、ヨガインストラクターやチャイルドボディセラピストとして、多くの母親や子どもたちをサポートする仕事に就いています。
そして、時折開催される同窓会的なライブやコンサートでは、かつての仲間たちと再び舞台に立ち、ファンを喜ばせています。2025年のおニャン子クラブ結成40周年コンサートでも、変わらぬ笑顔でパフォーマンスを披露し、当時のファンを感動させました。
芸能界を離れても、自分らしい人生を歩み続ける白石麻子さん。その姿は、かつてのアイドルとしての輝きとはまた違った、成熟した女性としての魅力に満ちています。
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